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「生命保険」のホントの話 1

2021.10.18

 ここしばらくで大型のショッピングセンターなどに、「保険の相談窓口」なるお店が増えてきた。町中にも同様の店舗展開がなされている。その多くは「保険」と表記はされているが、殆どが生命保険を中心とした活動となっている。かといって人口減少下のこの環境で、なぜこのような店舗が増えているのだろうか?
 興味はあるけど何となく「・・・?」と足がなかなか向かない生命保険の相談だが、シリーズで種々解説をしていく。
 今回は業界の成り立ちなどについての解説だ。

 大きな生い立ちなどは別として「日本国内の生命保険」は、福沢諭吉によりヨーロッパの各種制度紹介の一つとして国内に持ち込まれた。当時は「人の生死で金儲けするのか。」といった風評で、浸透には時間がかかったようだ。
 他方当時の日本は「富国強兵」のスローガンの下、「徴兵制度」存在していた。このような環境下で「徴兵保険」なる生命保険の販売が始まり、急速に普及していった。その明治時代当時の名前の片鱗が残っているのが「明治安田生命」「「富国生命保険」といった会社になる。

 さてその後日本は第二次世界大戦に敗れ、多くの未亡人が残された。もともと日本の生命保険会社は「株式会社」で運営されていたが、この頃に「相互会社」に改組され再出発をした。この頃、戦争未亡人の生活の収入源として、「生命保険の外務社員」(いわゆる生保のおばちゃん)が世に現れた。(似たような生い立ちのケース?ではパチンコの景品交換所などでもあった。)
 
 この「相互会社」という組織は「保険会社の正社員」「営業外務員」「契約者」の全てが「社員」とされる。その為、外務社員は「一社専属」として自社の商品のみを取り扱う事となった。また給与体系が「基本給+出来高払い」である為、一定の成果が出ないと所得が苦しくなる事が多かった。このような生い立ちの制度の為、「お客の欲しいものを売る」<「自分の売りたいものを売る」といったセールスとなり、「保険」というものに違和感を感じる日本独特の環境が醸成されていったようである。
 
 また現在でもそうだが「契約初年度の月払い保険料中40~70%程度が歩合給となる」「契約後数年間は解約されると手数料戻入がある」といった収入体系の為、「下取り」と称した契約の回転行為が常態化している。組織力が強く選挙の時には集票マシン化する為、与野党共注意している勢力となっており大きく環境を変えづらい状況にある。(生保労連なる組合もある為、野党側も手を入れにくい。)

 これに対し「代理店制度」なる商品販売チャネルが出てきた。これは「社員」ではなく「代理店」の為、複数の保険会社の商品を取り扱える制度だ。無論社員ではない為基本給なども無いが、取扱商品選択は「代理店側」に任される事になる。
 これが最初に上げた「保険の相談窓口」なるお店なのである。


 それでは「代理店制度」の実態はどんなものなのだろうか?
 次回は代理店制度と生命保険に関する基本的な考え方について、お知らせしていこうと思う。


執筆:Y.O

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